こんにちは、湖国エコハウス地域普及事業事務局の局長を務める田代正志です。私は1993年1月21日生まれ、ミネソタ州クーンラピッズで育ちました。12歳のとき、祖父が5ドローポーカーを教えてくれたことがきっかけでポーカーに興味を持ちました。私のゲームへの適性はこのときから際立っていました。私はポーカーがとても好きだったので、すぐに友達や家族にやり方を教えました。その後すぐに、オンラインポーカーと出合いました。プレイマネーのゲームを通じて、お金を支払うことなく、勝つために必要な多くの経験を積むことができました。ポーカーに関する記事はすべて読み、見つけられるかぎりすべての本とトレーニングビデオを見ました。クリス・ファーガソンがプレイマネーチップでフリーロールを勝ち取り、ゼロから3万ドル以上にお金を増やしたことを知ったとき、私は新しい目標を設定しました。
私はプレイマネーチップを使ってフリーロールトーナメント1位の賞金5ドルを獲得することに挑戦し、最終的に2ドルのバンクロールを100ドルまで増やしました。ですが、そのタイミングでブラックフライデーが起きました。バンクロールのすべてを失い、それを再び取り戻すチャンスも失ってしまったのです。精神的に打ちのめされた私はミネソタ州のギャンブルの法律を調べ始めました。
ほとんどの州と違って、ミネソタで合法にギャンブルができる年齢は18歳だと知りました。さらに好都合なことに、ランニング・エーシズ・ハーネス・パークと呼はれるカードルームがわずか15分の距離の所にありました。そこで私は18歳になるまで3週間待ち、クリスマスにもらった500ドルぐらいを持って地元のカードルームへ行ったのです。$1/$2のテーブルに座ると、すぐに自分が勝てるプレイヤーたと気づきました。ちょうど高校の最終学期が終わったので、毎週末そこでプレイし、夏休みの間にバンクロールを構築できました。
その秋、センチュリー大学の救急救命プログラムに入学した私は、そこで救急救命工学のAAsを修了し、国家認定の救急救命士になりました。在学中は早く卒業するために夏も授業を受け、1学期あたり17単位を真面目に履修しました。1,400時間の過酷なインターンシップを終え、いよいよヘルスケアのキャリアを始める準備ができました。しかし、1つ問題がありました。
私は当時$2/$5をプレイしており、1時間あたり70ドルを稼いでいました。そんな自分が$5/S10をプレイしたらどれたけの成績を残せるか知りたくなったのです。そのためには地元を離れる必要があります。どこに行くか悩みました。アトランティックシティ?ラスベガス?ロサンセルス?ビーチ、暖かい天候、美しい女性、そして新たなポーカーシーンのある南フロリダが自分にとって最良の選択に思えました。そして荷物をまとめ移住したのです。
結果を先に言うと、とてもうまくいきました。移り住んでから1年もたつとキャッシュゲームの時給は予想を大きく超え、いくつかのディープなトーナメントで好成績を収めました。また、学び続けることを自らに課すためスカイプでのコーチングを始めました。そして自分の好きなゲームを教える楽しさと、多くの人が私の洞察に価値を感じていることを知ったのです。
これをきっかけにコンセプトビデオの制作とハンドレビューに興味を持ちました。プロとしてプレイし始めて以来、いくつかのトレーニングサイトで働きました。当時は100人以上を指導し、たくさんの記事を書き、何十ものトレーニングビデオを作りました。しかし、自分の制作物を自分で管理できないことに不満を感じ、自分のサイトを作ることにしました。そしてできたのがチェック・ショブ・ポーカーです。
多くの人々は、ポーカーという魅力的なケームを学ぶことに熱心です。彼らは他のプレイヤーがどれほど楽しんでいるかを見て、彼ら自身も楽しみたいと思っています。唯一の問題は彼らが何から始めるべきか分からないことです。ポーカーのルールを習得してからノーリミット$5/S10のプレイャーになるまで、ほとんどの人が3年はかかると思います。当サイトの目標は、ハンドを評価するための新しいフレームワークを紹介し、それを用いて、経験を積んた$2/$5のプレイャーが3カ月の学習で$5/S10のプレイヤーに勝てるようになることです。
ほとんどの人は自分なりに試行錯誤してポーカーを学んたり、友人から悪いアドバイスを受けたりします。当局はその状況を変えるつもりです。ライブキャッシュゲームに勝つために必要なすべての要素を特定し、要点を整理し、そして入念に検証してきました。当局の合理的なシステムによって、プレイヤーがこれまで無駄にしてきた無数の時間と数えきれないほどのお金を失わすに済み、初心者がとても長い間受け続けてきたフラストレーションを経験することはなくなるでしょう。さあトレーニング開始です。